このサイトではJavaScriptを有効にしてご覧下さい

福山市議会議員 大田ゆうすけ

福山市議会議員
大田ゆうすけ

自己紹介

<政策・マニフェスト>

私は福山市議会議員として、将来の子供達に豊かな自然環境を残し、鞆や福山城に代表される歴史と文化が共存するまちづくりを目指しています。

救急医療体制の維持・福祉の充実

医療・福祉分野に詳しい議員として、医療従事者及び市民の代表として頑張っています。特に夜間の救急医療体制の維持・確保の課題に取り組んでいます。また、作業療法士・ケアマネージャーの資格を有し、介護認定審査会委員の経験もあります。それらの経験を通じて「認知症を地域で支えるまちづくり」に取り組んでいます。

芦田川水質ワースト1の返上

40年にわたり中国地方の1級河川(13本)中、水質ワースト1位の不名誉な記録を更新してきましたが、H24年は岡山県の吉井川に次ぐワースト2位となりました。今後は更なる浄化と、子供たちが遊べる川に戻すべく努力したいと思います。
将来的には河口堰の開放を目指しており、部分開放や代替水源の確保策を研究しています。河口堰開放が瀬戸内海の漁業を再生することは間違いありません。

鞆のまちづくり

鞆(旧有磯町)の元遊郭であった古民家を購入し、補助金等に頼らず再生して「鞆ノ津ギャラリーありそ楼」をオープンしました。遊郭建築独特の意匠を残した建物であり、正面には弁天島が望める眺望は素晴らしいです。また、鞆の内外の住民が集い、今後のまちづくりについて語り合える場所にしています。

交通政策の見直し

高齢社会の到来に伴い、従来の自動車交通は徐々に衰退し、公共交通重視の社会構造に転換することが予測されます。今まであまり重視されてこなかった路面電車の復活等を検討する必要があります。私はフランスのストラスブールやドイツのフライブルグ等の路面電車によるまちづくりを視察し、その思いを強く抱いています。

戦後の歴史の清算

私たちは近代史を習っていない世代であり、先の大戦について無関心でした。しかし、私は偶然にも福山歩兵第41連隊の兵営跡地に家を建て居住しはじめたことから、41連隊の歴史に興味を持ち、その足跡を辿り後世に伝えることに取り組んでいます。先の大戦で41連隊はマレー作戦・東部ニューギニア戦・レイテ戦と転戦し、日本陸軍史上最も酷使された連隊として知られています。

子供の体力作り、スポーツ振興

子供の心身を鍛えるために、8月に大田祥子杯中学生野球大会、11月にグリーンライン駅伝を開催しています。私自身も元水泳選手であったことから、福山市水泳連盟の顧問及び、福山市柔道連盟の顧問を務めています。なお、3月の福山マラソンと9月の福山市水泳選手権には毎年出場しています。

子供の自然体験学習の場を増やそう

「自然体験の多い子供ほど正義感が強い」という文部科学省の調査結果もあり、山野町に古民家を借りて山野峡冒険村「ゆうすけ山荘」と名付け、子供の自然体験活動の場としています。深い淵に飛び込ませたり、滝壷で泳いだり、魚を捕らせたりと、それは楽しい経験を積ましています。冬になれば雪山登山をさせるなど、大自然の中に身を置き、自然に対する「畏れ」を学ばせています。

page top

<活動スタイル>

基本的に自転車で移動

リュックを背負い、ズボンの裾を留めて、今日も行く!
見かけたら手を振って下さい!
自転車道の整備、自転車によるまちづくりを進めています。

自然エネルギーの利用促進

冬の暖房は間伐材を利用した薪ストーブ、夏はソーラーパネルと太陽熱温水器、元は取れないかもしれませんが、着々と仕事してくれています。冬は1台の薪ストーブで家全体が温もり、ゆれる炎の癒し効果も抜群です!

ノーエアコン生活

壁面緑化(藤)とヨシズの効果、扇風機・竹シーツ・氷枕などの涼感グッズを駆使して、最近の夏の猛暑にもかかわらずエアコンいらず。

<年表>

昭和43年3月23日 大田浩右・大田祥子の次男として生まれる。

昭和48年 川口幼稚園入園

昭和49年 川口小学校入学

昭和50年 多治米小学校へ転校。学校から帰ると、毎日のように網とバケツを手にして芦田川へ遊びに行きました。

昭和52年 芦田川河口湖貯水開始(小3)私たちは芦田川で遊んだ経験のある最後の子どもです。わずか3年間でしたが、この思い出は何物にも換えがたく、ぜひとも自分の子どもにも経験させてやりたいと考えています。

昭和55年 広大付属福山中・高等学校入学(34回生)
水泳部に入り、福山地区では常勝、県下でも有数の強い部に成長する。高1の時、自転車で四国88ヶ所めぐりをし、旅に目覚めました。

昭和61年 大阪産業大学短期大学部・自動車工業科入学
新聞配達をして買ったバイクでツーリングをしたり、ミニバイクレースにも出場しました。19歳の時の北海道ツーリング(SX200)は良い思い出です。

昭和63年 愛媛十全医療学院・作業療法科入学
リハビリテーションの専門職を目指して勉学に励みました。当時は貴重な職種で「金の卵」と呼ばれたものです。

平成3年 広島会計学院入学・大田記念病院就職
当初、脳神経センター大田記念病院では老人デイケアを担当しました。その後、会計学院で学んだ簿記の知識を活かして経理担当者となりました。大田記念病院在籍中は「社会性のある病院」を目指し、ローズパレード、二上り踊り、芦田川一斉清掃、福山駅伝、福山マラソンなど社外イベントに積極的に参加しました。

平成8年 異業種交流会「SAY YOU」を立ち上げ、幅広い人脈作りに取り組みました。

平成9年 初めて「トライアスロンさぎしま」を完走しました。

平成11年 ケアマネージャー試験に合格し、福山市介護認定審査員を務めました。

平成13年
ボリビアのチャカルタヤ山(5400m)をスキー滑降、「新生・芦田川手作りいかだレース」を主催しました。

page top

平成15年

8月
市長選投票率33%にショックを受け、「わしがやらねば誰がやる」の精神で自ら政治活動に取り組むことを決意しました。
9月
市政勉強会「福山かえる会議」を立ち上げました。
10月 
かえる会議で「衆議院選挙立候補者の政見を聞く会」を開催しました。
11月
カヌーイスト野田知佑氏を招き、芦田川に関する講演会を開催しました。

平成16年

4月
皆様のご支援により市議選史上最高の得票(7,805票)でトップ当選を果たしました。新会派「緑風会」に所属し、常任委員会は民生福祉委員会に所属して、順風満帆のスタートであったと思います。
5月
母・大田祥子がチョモランマ登頂後、8,500m地点で遭難死しました。
8月
父・大田浩右が福山市長選に立候補するも落選、議会において一気に逆風にさらされ、針のムシロに座ることとなりました。

平成18年

4月
わずか3人の市議会最少会派「誠友会」を結成し、是々非々を貫く会派として頑張りました。毎議会質問・討論を行い、議員としての力量を高めることができたと感じています。

平成19年
高金利の市債の繰り上げ償還に積極的に取り組むよう求め、国の繰り上げ償還の規制緩和と相まって将来的に約50億円の利子節減が実現しました。

平成20年

4月
2期目の選挙において6,818票を獲得し、第2位で当選しました。議会内会派は「明政会」に所属し、常任委員会は文教経済委員会に所属しました。
同時に広島大学大学院・社会科学研究科マネジメント専攻に入学し、地域政策ゼミナールにて地方自治について学びました。昼は議会、夜は大学院という2足のわらじを履き、大変な2年間でした。

平成22年

3月
広島大学大学院を修了、修士論文は「芦田川河口堰に関する政策研究」です。3月議会では河口堰開放に伴う代替水源を中津原浄水場に求める質問を行い、水道局から一目置かれる存在となりました。
11月
姉妹都市タクロバン市からの訪問団を受け入れ、大きなニュースとなりました。

平成23年

1月
「寄らば大樹の影」ではダメと考え明政会を退会し、無所属1人会派となりました。15ヶ月間の1人会派は大変良い経験でした。また、23年度は政務調査費を全額返上し、156万円の節減を行いました。
4月
東日本大震災の復興支援に取り組み、陸前高田市に中学生の学用品を届けました。
7月
南海支隊戦友遺族会主催の「ニューギニア慰霊の旅」に参加し、福山41連隊の慰霊を行いました。

平成24年

4月
「最低でもメダル」という目標を掲げ、3期目は3位当選(6,042票)でした。
最大会派「水曜会」に所属し、民生福祉委員会の委員長に就任しました。
今年度から一問一答方式となった本会議では議員の質問力が問われますが「毎回質問」を目標に取り組んでいます。

page top